2016-01-07
昨日に続きフォークナーの『八月の光』の話。この小説全体を貫く悲劇は、主人公のひとりジョー・クリスマスがたどり着いたジェファーソンという町(架空の町です)で起こりますが、この複雑な過去をもった人物が、育ての親であるマッケカンを殴り倒して放浪の生活に出ることになる場面も印象的です。ありふれた「道」がこの男の心象風景の象徴になるのです。引用します。
「幾千もの荒涼とした寂しい道路が、後悔を知らぬ彼の頭に刻みこまれることになる。それらの道路は彼が倒れていたあの晩からずっと続いて延びていくことになるのだ。(中略)彼は暗い露台(ポーチ)から月光の中へ出ていった。そして血だらけの頭と、ウイスキーで熱くほてって元気づけられた空の胃袋とをもって道路に出たのだが、彼にとってこの道路はこれから十五年間も続くことになるのだった。ウイスキーは覚め、新しい酔いを作り、また覚めたりしたが、道路はなおも続いた」(新潮文庫版292ページ)
このあとにその十五年間の彼の生活と、彼の生涯を決めている黒人差別意識をめぐる重要なカギの一端が明らかにされる場面が続きます。彼の前に続く「道路」は、彼の放浪の旅と流れ去る時間の象徴でありながら、同時に実際に彼が歩き、働き、ねむった現実のはっきりしたイメージでもあるのです。『八月の光』は、全編このような濃密な文体で埋め尽くされていますが、強烈な個性を持った人物が次々にあらわれ、さらに明るいユーモアに満ちたプロットも挿入されていて、まさに作者の想像力に圧倒される小説です。
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