もう一冊の『平家物語』
2018-08-28


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今年の2月に覚一本の『平家物語』を読み始めたことをこのブログで報告しています。それから半年、この7月にやっと最終巻「灌頂の巻」に到達しました。振り仮名や解釈の助けになる注釈はついていますが、本文は原文のままなので苦労するかと思いましたが、案外楽しんで読み進んでいけました。かなりの現代語訳のついた、いわゆる「一二〇句本」をすでに読んでいたこともありますが『平家物語』そのものが語り物として成立したということもあって、現代の読者から見てもそれほど難解ではないということでしょう。

案外困ったのがごく簡単なこと、例えば、「おぼし飯し」の「飯」には意味がないなどいうこと。このへん、古典文学の基礎知識は必要だったかもしれません。この読書の最中、つねに参照したというようなことはありませんが、「手引書」として手元においてときおり目を通していたのが石母田正著の『平家物語』と杉本秀太郎著の『平家物語』の2冊です。みんな同じ書名でややこしいのですが、二人とも書名はこれしかないと考えたのでしょう。

石母田正著の『平家物語』は著者が著名な古代史研究者で古典文学愛好家です。1957年(昭和32年)に発行されていますが、論理的な内容と明解な文章によって60年以上を経た今なお必読の研究書としての読者を引き付けてます。名著ですね。

杉本秀太郎著の『平家物語』も最初の雑誌連載が1988年(昭和60年)ですから、すでに30年以上前のことになります(連載は7年間)。杉本秀太郎氏もフランス文学が専門とは思いますが、日本古典への造詣も並みではありません。ただし、この『杉本平家』は研究書でも読書案内書でもありません。『平家物語』という膨大な作品を、自らの爼の上にあげ、古今東西の歴史を超えて縦横無尽に論じた文化論であり、かつ絶妙のエッセイでもあります。文学といってもいいでしょう。表題のもう一冊の『平家物語』とは、この『杉本平家』のことになります。

覚一本の『平家物語』を読んだあと、ここでもう一度落ち着いてこの杉本秀太郎著の『平家物語』を読んでみました。そしてあらためて『平家物語』の奥行きの深さ、隠された背景と事情、そこに登場する人物の時代を超えた普遍性―欲望と葛藤が少しだけではありますが、わかった気がします。

いくつか例をあげると、第4巻の「競(きおう)」の段。重盛、宗盛、仲綱など全盛期の平家の公達が登場するよく知られた話ですが、宗盛は気に入った競(この美男の新参侍を、と杉本秀太郎は注釈)を何度も呼び寄せます。ここに男色という表に出にくい事情があることを杉本氏は見逃しません。正当の覚一本ではいわれないと気づかないかもしれませんが、実は『平家物語』にはこうした隠微な世界が隠れているようです。

ついでに当時の好色の世界ものぞかせてくれます。「灌頂の巻」は後白河上皇が隠遁している健礼門院(徳子)を訪ねるという有名な話ですが、その理由のひとつに健礼門院に対する後白河上皇の愛着であったことが他の流布本には示されているとのこと。これは正当派『平家物語』だけではなかなかわかりませんが。この時、健礼門院は三〇歳で、後白河上皇は五九歳です。現代から見ればまだまだ元気な男女ですが、健礼門院はこの数年後に亡くなっていますから(異説もあります)この時点でも相当な心身(容色)の衰えがあったのかもしれません。


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