浜名湖の姫街道を歩く(1)
2024-03-25


禺画像]


 1日目

風光明媚で、西の琵琶湖の「近つ海(近江)」に対して「遠つ海(遠州)」と呼ばれた愛知県浜松の浜名湖は、その南岸(太平洋海岸寄り)を主要街道である東海道や東海道線・東海道新幹線などの鉄路が走っています。一方、その北から西側側には浜名湖を迂回するように「本坂通り」と呼ばれる東海道の旧街道が通じています。東名高速道路はこちら側ですが、浜松や遠橋という都市が連なる南岸に比べ、相当に地味な印象です。江戸時代以前にはこちら(北側)の方が東西交通の主要道だったようで、江戸期にも一時、南の湖岸が地震により崩落して交通の障害になる時期があり(今切口)、その際にはこの北岸ルートが使われたようです。また女性連れの旅人が多かったことから「姫街道」とも呼ばれ、今でも地元ではそう呼んでおり、最近は観光のキャッチフレーズとしても利用されているようです(下の図はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)。


禺画像]


この姫街道(現在の街道は国道261号線と362号線)自体は、旧街道とはいえ浜松と豊橋という大都会の間にあることに変わりなく、高速道路とも接していますので、交通量は結構多く、道路もよく整備されています。しかし、この街道が古道歩きの人に知られているのは「引佐峠」と「本坂峠」という、この区間に2つある峠道に江戸期の面影を残す山道(古道とよびます)が残っていることではないでしょうか。正確には古道の面影を残すのは、天竜川左岸の見付宿から豊橋の御油宿までの工程らしいですが、やはり中心は2つの峠ということでここを中心に2日間かけて歩くという計画をたてました。


あとで考えてみれば、2つの峠に至るまでは普通の舗装道路なのですから、歩くだけでも大変そうですが、昔の人のように一日歩き続けるという体験も面白いということで、まずは、JR浜松駅から遠州鉄道というローカル線で姫街道に接する「自動車教習所」という小さな駅に向かい、ここから姫街道の旅となりました。駅の前がくだんの姫街道ですが、金曜日ということもある、車の行き交う狭い2車線の道路で、どこにも旧街道らしい雰囲気はありません。しばらく歩いているうちに道は広くなり、左側に「三方ヶ原追分の一里塚」が現れました。この付近から道の両側の古民家もなんとなく旧街道らしい感じになってきました。そして大きな松並木が出現、やっと旧街道を歩いているという実感がしてきました。長さ約4キロにわたって続く「姫街道の松並木」です。樹齢200年越えのの樹もあるそうですから、まさに江戸時代からここにあったことになります。樹の1本ずつマークが付けられ、地元の人が大事に保護していることが分かります。車が通るとはいえ、この程度ならかつての排気ガス時代も乗り来えられたんのでしょう。


禺画像]



続きを読む


コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット