大阪にある「百舌鳥(もず)・古市古墳群」といえば仁徳天皇陵(大仙古墳)や応神天皇陵など教科書でもおなじみの巨大古墳をはじめ大小有名な古墳が密集して点在し、その間を竹内街道や高野街道などのこれも日本有数の古街道が幾本も走っているという地域なので、機会があれば訪れてみたいと思っていました。
よりによって真夏のような暑さが続くとは思いませんでしたが、この6月中旬の3日間、気軽な一人旅でまわることができました。場所は堺市と羽曳野市さらに藤井寺市などを含む大阪府の西南地域で、かつて大阪湾に注いでいた大和川・飛鳥川をさかのぼって古代日本のヤマト王権の揺籃地に達することができ、さらに陸を行けば最古の官道である「竹内街道」の起点でもあります。
まずは、古墳のことから。百舌鳥古墳群の起点は大阪西北の大都市・堺からになります。初めての訪問ですが想像以上に大きな都市で、街の賑わいもその活気も相当なものです。まず、近鉄の「堺」と南海の「堺東」という大きな駅が2つあります。2つの駅の間には「大小路」という数百メートル続く広い道があり、これは「おおしょうじ」というんですが、室町時代からあるそうで、しかもこれが、大阪湾から明日香・奈良につながる日本最古の官道である「竹内街道」の起点にもなっているということで、なんとも関西の歴史の長さを実感させます。
その大小路・竹内街道を直進すると右側に22階建ての豪壮な堺市役所が地域を圧倒するように建っています。そのすぐ先は堺東駅です。この市役所の最上階が展望テラスになっていて眼前に仁徳天皇陵が見えるという触れ込みでしたので、さっそく登ってみるとにぎやかな小学生の集団に遭遇です。おそらく市内外の子供の参観場所なんでしょう(なお、仁徳天皇陵など宮内庁管轄の慕陵は学術的にはこう呼びませんが、地元はみんなそういいますのでそのままにします)。下を見ると確かに仁徳天皇陵がありますが、多くの巨大古墳がそうであるように全体に樹木が茂っていて周濠も見えないので、まるで大きな林が広がっているとしか見えません。ただし周囲がほとんど住宅でその中に緑の古墳だけが浮かんで見えますので、尋常でないその規模を体感することはできます。
この日、暑いことはわかっていましたので、堺駅前でレンタル自転車を借り、これで移動しました。実際の仁徳天皇陵はこの堺市役所前の竹内街道を500メートルほど進んだ右側に現れます。大きなビルが林立している現在では想像できませんが、改修以前の大和川も近くを流れていたそうなので、船上からも陸上からもこの巨大陵墓は圧倒的な迫力で見えたに違いありません。
現代の陵墓は、近くに行っても、鉄柵に囲まれてその陰から濁った内堀と繁茂した木々以外はよくわかりません。まずは隣接する公園(大仙公園)に入ってみましたが、これまた広く、10分くらい走り回ってから、長塚古墳という公園内の小さな古墳の前で休憩。小さいといっても周壕をめぐらせた前方後円墳です。公園内にはこの他にもいくつかの古墳があるようで、西南の端には仁徳天皇陵の3分の1くらいのサイズで、ほぼ同じ向きにつくられている履中天皇陵があります。
巨大古墳は周囲を回るだけ
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