そんな中、ふと思いだしたのが、10年以上前に夢中になったノンフィクションのこと。そのときの思いをかなり以前に書いた「メールマガジン漂流記」という本の中に入れた思いがあったので、探してみるとありました。「2001年8月13日」のことで、15年前です。以下がその内容。
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「新潮文庫の一〇〇冊」というキャンペーンに乗ってうかうかと買ってしまった本が『エンデュアランス号漂流(原題 : ENDURANCE)』。ノンフィクションは大好きですから選択に間違いはなかった、というよりこれは驚くほどの傑作でした。第一次世界大戦のころ、南極大陸横断に挑戦した探検隊が沈没した船を捨て、揺れ動く流氷と荒れる海を乗り越えて十七か月後に全員無事で生還を果たす──とこれはまさに典型的な遭難事故ですが、体験は記録されることによってはじめて歴史になり、後世に残ります。
その漂流記録を作家のランシングが調査しまとめたのが一九五九年。「これから述べる話はすべて真実である」という冒頭の一行でリアリティを保障された想像を絶するストーリーが、詳細、緻密に絶妙の構成で一気呵成に展開します。これほどの内容の本の日本語訳が出たのがなんとその五十年後の一九九八年です。文庫版の解説のなかで、アラスカで亡くなった動物写真家星野道夫氏が座右の書としていたというエピソードも紹介されています。実際の冒険家を感動させるというのはちょっと信じがたいですが、この本の迫力はそれほどすごいものがあることを示している実話だと思います。
南極探検での極限を描いた記録としてすぐ思い浮かぶのはチェリーガラードの『世界最悪の旅』です(私は筑摩書房から一九七二年に出た「世界ノンフィクション全集」版の抄訳を持っています)。しかし、その内容は比較になりません。『世界最悪の旅』は実際の参加者の体験記なので、作家の手になる『エンデュアランス』と比べてはいけないかもしれませんが、それ以上に、同じように死と隣り合わせの極限の苦闘を描いてはいても生存のための条件が違いすぎるように思えます。
この歳になると、勇気づけられる体験に出会うことはめったにありませんが、この本を読んでいる時間は、まさしくそれに値するものでした。この記録がノンフィクションの古典となるのは間違いないでしょう。
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『漂流記』つながりでややこしいですが、この本に関連しては隊長のアーネスト・シャクルトンの出した回想記『エンデュアランス─奇跡の生還』も購入し、これは実際の体験者の手になるものですから違う意味でなまなましく疑似体験的な面白さがあります。ランシングというプロの作家の手になる「記録小説」のほうが、ストーリー展開や記述の巧みさや危機に直面していくドラマチックな構成力という点では断然上ではあるのですが、これはしかたのないことでしょう。
海底で海底でみつかった船体の鮮やかさ
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